親友が生きていれば


友達でも
年々ハードルが高く感じる
今日この頃ですから

親友となると
もはや立ちはだかる壁レベル。

親友。。

胸をはれるとすれば1人。

東日本大震災のときも
揺れがおさまった直後
母親と彼女にだけ
メールを送ったくらい。

唯一の存在の彼女Rだ。

私は20歳過ぎてた位だから
彼女は10代だったのか。

彼女が住んだ
歴代の一人暮らしや
二人暮らしの部屋には
お邪魔しているし、

彼女も私の歴代の部屋に
来ていると思うな。苦笑

私と同じくお酒が好きで
同じペースで飲めて
酔っ払うから
しこたま飲んだ。

お互いに訪れたドン底
bottom of my life的な時期を
何度も見てきたし見せてきた。

私が24歳を越えられたのは
彼女のおかげだと思っている。

彼女は今でも私は
永遠の24歳だと言うが
それは決して若さではなく
その歳のインパクトのせいだ。。

話を戻して…

彼女とは
昔勤めていた職場で出会った。

大きな目と胸で相当可愛いのに
なんとも動きが妙だったり
猫背でなまりが強い。。

なんとも愛らしい彼女が
気になった私の方から
近づいていった気がする。

意気投合して
すぐに仲良くなった。

ってことは
私もきっと彼女と同じくらい
妙な女の子なんだろうな。

決して悪い気はしないけど。笑

あれからもう
15年は過ぎたかな?

そんな彼女が
癌に侵されことを知ったのは
昨年5月の末のことだった。

私も彼女も
マメに連絡を取り合う
女子的な女子タイプじゃないから、

連絡がないことは元気な証拠と
信頼しあっている関係に甘えていた。

久しぶりに連絡を取り合ったとき
彼女は1度目の手術の後だった。

いても立ってもいられず
私は大学病院へ駆け付けたけど

いつものように
笑わせて誤魔化すにも
笑うと傷口が痛むというから
ますます話し方を忘れてしまった。

今思えば
縁起でもないし
自己中心的すぎるんだけど

彼女が死んじゃったら
誰が私を理解しててくれるの?


泣きじゃくりたいほど
恐ろしく心細くなった。

ただひとつ
信じていたのは
彼女は強運の持ち主だということ。

今まで何度となく
その様を見てきたから
運が味方してくれるだろうと
そう楽観視する気持ちが
私を安心させる唯一の救いだった。

彼女は
その後どうなったか…

やっぱり

彼女は
強運の持ち主だった。

癌との戦いに打ち勝ち
難しい手術に
後遺症も覚悟したそうだけど
それも何もなく
しかも子供まで無事に産んだのだ!

とにもかくにも
彼女の強運っぷりには感服。

あやかりたいものだね。

人が生きているだけで
これほど嬉しいことで
尊いことなんだと
初めて身を以て知った気がする。

そんな彼女が突如
私の地元塩竈に引越してきた。

しかも学区内ほどの
近所に家を買い
彼女にとっては
縁もゆかりも無い塩竈に
引越してきたのだ。

類は友を呼ぶ。

いやー
引き寄せてる。

お互いびっくり過ぎて
近所すぎて笑った。笑

長くなりましたが
これは親友Rのお話。

親友は大切にしなくちゃ
ダメダメよ、と自分への戒め。

彼女の家の茶の間からは
稲荷神社の鳥居が見える。

R
「いいでしょ?この鳥居view!」
A
「いいね!鳥居view!いぇあ!」

独特な言い回しの
何気ない会話も
彼女との時間は
私にとって特別なものだ。

また前向いて
歩いて行ける。

今が人生の
topでもbottomでも。

だからお互い
とにかく生きていよう!と
誓いあった昼下り。

彼女の旦那によく似た息子は
やたらぐっくり眠っていた。

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